子育ても、みんなで話せば恐くない!!
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新年 明けまして おめでとうございます

ここ数ヶ月、PCなんてホコリかぶってしまうくらい慌しくクリスマス、年末、新年を迎えてしまいました。



ここ数ヶ月に我が家は急変したように思います。


まず、母は少しですが働き始めました。   っていっても近所の子供の勉強を見るのですが・・・。なかなか昔の記憶を呼び起こすのは大変で、昔懐かしい?予習をしないと上手く説明出来なくてただ今中学・高校のお勉強を母は頑張ってます。


次に、にゃー君お稽古事を始めました。

空手なんです。 お友達に見学を誘われてヒョイヒョイ付いて行ったら珍しく本人がやる気満々で・・・。アットホームな道場で週一回の夜、胴着着て頑張ってます。


んで、次に・・・・






二人目、妊娠しました~~!!!!!


六年かかってようやく授かりました。実は、これまでに何回も妊娠していたものの早い段階で流産というか、妊娠不成立になっていて、母も少しずつ働き出したのでもう二人目は半ば諦めていたところに吉報が来た訳です。


こうやって妊娠したって素直に皆さんに公表できるまでに何度となく流産の不安もありました。夜中に何度となく起きてはトイレに行って出血していないか確認する日々は続きましたし、友達に言ってまたおととしのように流産してしまったらどうしようと思ってなかなか口には出せませんでした。今七週目に入って自分なりに確信出来たのでこうやってブログに書いてみようと思いました。





みなさんはにゃー君がどんな反応したと思いますか???



母が『お腹の中に赤ちゃん来たみたい』 と言うと


うへへ~ってうつむいてニヤけてました。彼の中にはおととしの記憶があるらしく、母がしんどい~~~って言うとお腹をさすってくれます。甘えたい気持ちも出てきていますが、なにより自分がお兄ちゃんになれることが嬉しいみたいです。


これからは少しづつにゃー君がお兄ちゃんになるまでの記録をここに綴っていけたらなあ・・・と思っています。

にゃー君の友達付き合い

にゃー君の幼稚園では、いつもお迎えの時間は子供たちの遊ぶ約束が忙しく交わされます。



にゃー君とそのお友達は田舎だけあって、まだそんなにゲームを始めている子は少ないです。もちろんムシキングとかポケモンとかは男の子の間で流行ってます。ムシキングのカードを交換したり、ポケモンの指人形を交換したり。年少の時はOOレンジャーの剣や変身アイテムとかを使って戦いごっこをしてました。


うちは一人っ子なので、遊ぶとなると母しか相手がいないのはさすがに退屈で、いつも同じクラスのお友達と遊ぶ約束をしてきます。子供同士は約束成立しても、実際はお母さんの用事やお稽古などでなかなか上手く遊ぶ約束は出来にくい事もあります。  でも、基本的には誰かと一緒にケンカしながら遊んでます。前にも書きましたが兄弟の居る家庭では子供だけで預からないと一緒には遊べないので、子供だけを多く集めて遊ばせるのにはどうしても家の中になってしまいます。 お友達のお母さんも同行してくれるときにはお天気がよければ公園に行きます。公園に行ったら子供の気が済むまで思う存分に遊ばせるようにします。



皆さんのところはどうなんでしょうかね??



あっという間の10月

夏休みから本当にアレヨアレヨと云う間に10月も終わってしまいそうな気配・・・。


10月は地元のお祭りでにゃー君達の幼稚園が今回は代表として公衆の皆様の前で踊りを披露し、そして運動会。そしてそしてお神輿(雨でなくなったけど)、そして地域の運動会。そして、明日は遠足・・・。


もう少し行事をばらけてもいいんじゃないのかな?・・・。

今回の遠足は、母でもそんな距離歩いてなんか行かないくらいの距離です。 大丈夫なんでしょうか・・・。 それともうひとつ悩みが・・・



おやつって、どれくらい持ってきゃエエのん??

お友達と一緒に食べるからきっと交換するやろうし、きっと自分の気に入ったお菓子ばっかりだと交換したくても出来なくてケンカ??になっても困るし・・・。    とりあえずハイチュウと、ラムネとコアラのマーチとポテトチップスは用意したけど、どうなるかな・・・。

もうひとつの九月の物語

にゃー君が生まれて初めてのお正月に張り切って家族の写真入りの年賀状を友達に送りました。


母の小さい頃からの友達から始まって大学時代の友人にまで、子供が生まれた喜びを一言書き綴って新年の挨拶とともににゃー君をお披露目しました。そしてにゃー君と共に家族写真で新年の挨拶を友人に送って二年目。正月明けに一通の葉書が届きました。



住所は鹿児島。 でも見慣れない名前。 裏の文面を見て、母は息が止まりそうになりました。





そこには大学時代のクラブの後輩が亡くなった事が書いてありました。


後輩の彼女が亡くなったのは、まさににゃー君が生まれて二週間程してからだったそうです。



病名は、末期ガン。









母が、母となり、生命が生まれてくる喜びをかみしめていた時に、彼女は、死と向き合っていたのです。

















彼女は、母が大学時代に所属していたクラブの後輩マネージャーでした。 母が所属していたクラブは少しマイナーなスポーツで、なかなか人数が集まらず、母の同期生は新入部員獲得するのに必死でした。

そんななか、彼女はふいにやって来ました。男子部員のクラスメイトで、彼の片思いの相手でした。大きな瞳で、小柄で可愛らしい外見からは想像出来ない程のしっかりとした意志を持っていた彼女はやがて母の後輩マネージャーとなりました。一緒に声を張り上げて声援を送ったり、部活が終わって夜遅くに少し談笑したり、同じ部活をマネージャーとして部員を支えていく気持ちは共通だったので母は妹分が出来たような気になっておりました。


楽しい時間はほんのわずかで、彼女を含め後輩マネージャーは次々と退部していきました。  理由は様々で、母とその同期生達は引き止める事も出来ませんでした・・・。彼女が退部したい理由は、学業に専念して、バイトもしっかりして親の負担を軽くしたいという事でした。


ある、雨の日の夕方、彼女の新しい引越し先に遊びに行きました。最後にもう一度、説得してみたかったからです。 彼女は慣れない一人暮らしで体調を少し崩していて、彼女なりに健康に気を使って食事や運動をしていました。彼女と少し話して、やっぱり引き止められないと母は感じて帰ろうとした時に彼女はこう言いました。 『先輩、女座りの時に同じ方向ばかり足を曲げていると腰が悪くなりますよ。』


そして彼女とも時々すれ違うくらいで挨拶程度の関係のまま、母は卒業式を迎えました。教室で卒業証書を受け取り、階段を下りて大学のロビーに出ようとしたまさにその時に、母は予想もしない光景に遭遇しました


彼女を含め、部活を去っていったマネージャーの後輩達が花束を持って階段の下で母を待ってくれていたのです。嬉しかったです。それぞれ違う道に進んで行ったはずの彼女たちが集まってくれるなんて、本当に嬉しかったです。卒業式を終えて電車に乗って実家に帰ろうとした時、彼女からポケベル(その当時は先端の通信機器なんです・・・)のメッセージが入りました。『先輩、また絶対会いましょうね!!』













まだ、その約束は果たせていません。でも、いつかきっとにゃー君と、パパと三人で彼女に会いに行くつもりです。彼女の分まで、母なりに頑張って生きていこうと思っています。時々失敗したり、育児に煮詰まったり、母親らしくない事してしまった時には彼女と写った卒業写真を見て自分をリセットしてます。だって、彼女の前では偉そうに先輩面していた母ですから、弱っちい姿を空から見られるのは恥ずかしくて・・・。






9月は、母にとっては思い入れの深い月なんです。





九月の思い出  その②

さてさて、陣痛室での2日目。 すっかり主のようになりつつある母は、痛みを紛らわせるために木馬にまたがり昼を越え、またまた陣痛室で夜を迎えてしまいました・・・。


陣痛促進剤のお陰で多少陣痛は戻ってきたものの、母のお腹の中でにゃー君はうまく旋回出来ずにもがいておりました。


一体 いつになったら ママになれるの????

そんな不安の中、友達が病院に



『あの~OOさんってもう赤ちゃん生まれました??確か予定日もう過ぎたはずなんですけど~』



っていう電話を数人が何回も掛けたのでナースステーションでは


『OOさんって・・・(赤ちゃん)まだ~~???』


と、いろんな人からプレッシャーを受けてもなお時間が無駄に過ぎていきました・・・。



夜に担当の先生が子宮口を計りにやって来ました。その先生は女の人で、小さくて美人でおっとりとしていて、母は心の中で『さとう玉緒みたい・・・』と思ってました。  その玉緒ちゃん先生は母の陣痛の痛みを知りつつ、容赦なく子宮口に手をグバッと突っ込みました。んもう本当に痛くて痛くて、悶えていたら、玉緒ちゃん先生は母の血がついたゴム手袋をはめたまま、



『あの~・・・子宮口は7cmに開いてますね~・・・でも~・・まだ全開じゃないし~・・・なので~・・・もう一晩(出産まで)・・・かな?フフ♪』

その言葉の後はもう母にはおぼろげな記憶しかありません・・・。


確か過呼吸になって、酸素マスクがつけられて、麻酔を腰に打とうとした麻酔師の人に『ケイレン止めてくれないと、間違って注射してしまったら、あんた死んでしまいますよ!!』  って言われたのは覚えてます。


そして一時間弱して・・・



パンッ!パンパンッ!!パンパンパパパンっ!!!!!

ほらっ!!早く赤ちゃんの声聞いてあげて~~!!!!!!



母が目を開けるとそこにはベテランっぽい看護士さんの顔が、っていうかが。母は麻酔が効いていたのでにゃー君が生まれた瞬間に寝ていたようで、産声だけは聞いておきたいだろうと看護士さんが起こしてくれたんです。(痛かったけど・・・)左の方を見れば待ちに待ったにゃー君がそこにはいました。陣痛という痛みから解放された喜びと、ようやく姿を見せてくれたにゃー君に母は感無量でした。


にゃー君はすぐに保育器に移されて、母は開いたお腹を縫ってもらっていました。  きっと先生たちは母が起きているって知らなかったみたいで、すごく世間話をしながらお腹を縫い縫いしてました。そのときに男の先生が一言、

 『あ~割と子宮口開いてたんか~。もったいなかったな~』  


ええやん、もう。しんどかったんやからさ。


そう思いながら母は再び眠りにつきました。それからにゃー君を抱くまでに一日に空白があるのですが、本当に母の記憶は出産後の部分だけ白い霧の中にあって、よく思い出せないのです。


ようこそ、にゃー君kouki58


九月の出来事  その①

五年前の9月の5日の夜も更けた頃、にゃー君はこの世に生を受けてきました。



出産、それはもう懐かしい思い出です。どんなに痛かったかはリアルには思い出せなくなってきてます。

五年前の記憶を少したどってみようと思います。


本来の妊娠予定日は8月の終わりだったけど、お腹のにゃー君はなかなか母のところには来ず、母は半ばやけになっていました。なので平気で焼肉屋に行って周囲の人たちを驚かせていました。



9月2日の午前中にいわゆる『おしるし』というものがやって来ました。母は出産準備をすると共に『もう子供が出来ると外食出出来ないよ~』と言っていた友人の言葉を思い出し、昼食は吉野家の牛丼のテイクアウト、夕食はモスバーガーのテイクアウトを食しておりました。で、夕食時にパパを怒らせてしまって『もう子供が生まれるのに~(泣)』とヨヨヨ・・・と泣いて夜、就寝していました。



夜12時を回ってしばらくすると、陣痛が始まりました。それは最初は『?、生理始まる?』っていうような痛みでした。それが次第に痛みはひどくなり、『トイレ(大)に行きたくても行けない、もうすぐもれる・・・』っていう感じの痛みが続きました。不思議なことに母の陣痛が始まると、パパの緊張が高まってしまい、トイレに走っていっておりました。もだえながら明け方4時に病院に到着しました。



陣痛室に到着すると、そこには先客がおりました。その先客さんはどうやら高齢出産で初産だったらしく、付き添いのご両親がかなりのご高齢で、足元もおぼつかないながらも先客さんの腰をさすったり、飲み物を買いに行ったりして懸命に尽くしてました。でも、先客さんは陣痛で理性も残りわずかだったようで、側から見ると怖かった・・・。先客さんはやがて分娩室に行ってしまい、母一人となっておりました。パパは有給休暇をとっていながらも仕事を持ってきて、右手は母の腰を、左手はパソコンを触っておりました。子宮口はまだ3センチ。夜になると母の体力も落ちてきて、陣痛も少しゆるくなりました。



翌朝、陣痛が収まってきたので、確か促進剤を点滴するようになりました。痛みは再びやって来たけど、母は昨夜はほぼ一睡もしていなかったので正直、白目をむきながら陣痛の痛みを耐えていました。


そんな時に発見した、陣痛を和らげる快適グッズ! 木馬のような、ロッキングチェアーのようなもの。それに揺れながら座っていると、  楽!!!!! 日曜の昼下がりのまったりとした時間に、競馬中継を観ながらその木馬に揺られていました。パパからするとそんな母の行動は究極の笑いのツボに入った様子で薄ら笑いを浮かべながら腰をさすっていた顔は今でも鮮明に覚えてます。



これから始まるドタバタ出産劇はまた、次回・・・。

夏休みの思い出 2

夏休み、ポケモンが好きになったので、愛・地球博にはとてもじゃないけどにゃー君を連れて行く勇気のない母は『ポケパーク』に行くことにしました。


迷い迷って到着して早々、着ぐるみのルカリオに出会いました。でも、にゃー君は恥ずかしい気持ちがいっぱいすぎて・・・知らんぷり 

なのでkouki54 人形と記念写真。


にゃー君の身長では乗れる乗り物は少なかったけど、観覧車など穏やかな乗り物に乗って楽しみました。kouki57 最初は恥ずかしがって伏し目がちなにゃー君もお昼にはすっかりポケパークを満喫していました。






昼過ぎに雨が降ってきたので帰宅。にゃー君は名残惜しそうでしたが、ひと通りの乗り物には乗ったのでまあいいかと。帰り道は熟睡してました。



にゃー君の笑顔と引き換えに母が失ったのは・・・




・・・お札・・・。それもいっぱい・・・。







三時間弱の滞在で、一万円以上の出費・・・。



子供産業は儲かるねえ。

夏休みの思い出

今年の夏休みは、にゃー君はひたすらプールにはまってました。


マイビート板も買って、そこに最近夢中なポケモンをいっぱい母が書いて(書かされて)、週末には市営プールに家族で二時間程入り浸る日々が続きました。安上がりで、しかも母のお世辞にも引き締まったとはいえない重力に従っている脂肪まみれの体を世間にさらすのには最適な場所でした。



日々の鍛錬の成果は、 ・・・・そんなにないけど、でも、水を嫌いにならないだけでも良かったと。ハハ・・・。

kouki56 それと、夏休みに目覚しい進歩を遂げたのは・・・。


kouki49      工作!

この作品集は後々発表していきます。 ちなみにこのにゃー君の手にしているのは『ゴミ箱』だそうです。

本人はこの作品を作ったのが予想以上の出来栄えだったらしく、それからにゃー君の工作意欲は高まっていくのです。

久々です・・・

ようやく、PCをゆっくり開くことができました。


夏休みが終わり、二学期が始まって、少しづつにゃー君の活動も増えてきました。何から書き始めたらいいのか母も混乱しています。


夏休み後半から二学期初めの頃、にゃー君はお友達付き合いを避けていました。幼稚園が終わってもそそくさと帰ろうとして、家で一人で工作を作ったりしてました。 どうにも不思議だったので理由を聞いてみると重い口調でしゃべりはじめました。


『あのな、おにいちゃんが鼻チョップしてくるんさ~。そやで早く帰りたいの』


・・・・。チョップかあ。  母は尋ねました。  『先生には言わへんの?』



にゃー君は黙ってました。なのでその翌日、先生にお話したら少しは改善されたようで、お友達との約束も増えてきました。 で、そのお兄ちゃんとはどうなったかというと・・・。


『あんな、お友達がおらへんお兄ちゃんやったからにゃー君がお友達になったたわ。』




よくやった?? まあ一応円満?解決したそうです。kouki52

ブログ復活!!

PCに触ることも無く、夏休みは長かった・・・。

二学期に入ってからも台風で休校になったりして、PCは埃まみれになっておりまして・・・。

そうそう、台風の被害は皆さんの地域はどうだったでしょうか??

幸いにゃー君一家の住む地域は特に被害はありませんでした。


みなさん、夏休みはいかがお過ごしでしたか?


我が家は今年は変化の多い夏休みでした。


ポケモンが好きになったり

工作が好きなったり

プールで浮かぶのが好きになったり


かと思えば


意外に内弁慶だったり

少し友達の輪の中でつまづいたり

小憎たらしい嫌味が言えるようになったり



二学期になるまでに色んな事がありました。母にはハードな夏休みでした。ほぼ毎日怒る事があって母の口臭は時々酸味を帯びてました。これからゆっくり書きとめていきたいと思います。kouki52 追伸  ザリガニもカブトムシもクワガタも元気です

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