去年の今頃の話
当然ながら、去年の今頃はこんな風にブログを書くことも無かった母です。去年の今頃は幼稚園の年少組に入りたてのにゃー君と初幼稚園ライフを過ごし始めていました。
去年の七月の終わり頃だったと思います。にゃー君は少しだけ『お兄ちゃん』になりました。
ほんの一週間もなかったかと思います。それって・・・。
そう、母は少しだけ、妊婦でした。
去年の春先に母は悩んだ挙句、不妊治療を受け始めました。病院には時々にゃー君も同行していました。
病院などの公の場所で大人しく静かにすることも大事だと思ったもんで。
母は黄体ホルモンが少ないそうで、ホルモン治療と漢方薬で治療していくこととなってました。
ホルモン注射をおしりにするときもにゃー君は見ていたりしました。
時たまぐずるにゃー君に、
『ママは体が少し悪いから治さんと赤ちゃんがお家に来てくれへんから。』
と、話してなだめたりしました。
もうすでに一人授かったからもういいんじゃないの??
そういった意見もあったです。でも、
『2人目はいつ?』 とか 『やっぱり一人っ子だからね・・・。』
なんていう言葉はいつも胸に刺さります。
『こればっかりは授かりモノなんでね・・・。』
っていう切り替えしが出来るようになったのも最近の話です。
で、治療を始めて数ヶ月経った頃、妊娠検査薬で妊娠反応があったのです。
初めはビックリして、次に嬉しくて、次に言いようの無い不安がありました。
友達に報告したときには嬉しくて、一人になると異様なほどの不安がやって来ました。
その想いは現実となりました・・・。
思わぬ出血で、病院に行っても一時間くらい待たされて、どうかお腹の赤ちゃんが無事でいて欲しい気持ちと、やっぱりもうダメなんだと諦めようとする想いでいてもたってもいられない気持ちでした。
突然の事だったので、にゃー君も連れて来ていました。
そこで、先生が『 ・・・まあ、またチャンスがあると思ってください・・・。』
母はよくその言葉が理解できませんでした。なので、
『もう、ダメって事ですか?』
先生は黙ってうなずきました。
病院を出るときに、エレベーターの中で、母はにゃー君に話しなくては、と思い、言葉を選びながらこう話しました。
『あのな、お腹の赤ちゃんな、お星様になってしもうたわ・・・。』
にゃー君は、少し考えたような顔をして、
『それって、死んだってこと?』
母は、返事が出来ませんでした。母親の顔も出来ませんでした。
ただただ、泣いてしまいました。
これから妊娠報告していた友達にも訂正しなきゃいない、親にも。
もっとハッキリ分かってから報告すればよかった。
そうすればみんなに余計な気を使わせずにすんだのに。
たまたま心配してくれて電話をくれたK君のママに母は泣きじゃくってまだ整理のつかない気持ちをぶつけてしまいました。
それからか、にゃー君が年下の子供に対して優しくなったような気がします。
その出来事から数ヶ月して、幼稚園でのにゃー君のお絵かきにはいつも『あかちゃん』が描かれていたと幼稚園の担任の先生から聞きました。
母は、胸が締め付けられるような想いでした。
あれから もう一年。
気持ちにも少し整理が付きました。なので、忘れてはならない大切な事だから、ここに書きとめておきたかったのです。
今日は少し、話、暗かった??
また今度は明るく行きます。