もうひとつの九月の物語 | 子育ても、みんなで話せば恐くない!!

もうひとつの九月の物語

にゃー君が生まれて初めてのお正月に張り切って家族の写真入りの年賀状を友達に送りました。


母の小さい頃からの友達から始まって大学時代の友人にまで、子供が生まれた喜びを一言書き綴って新年の挨拶とともににゃー君をお披露目しました。そしてにゃー君と共に家族写真で新年の挨拶を友人に送って二年目。正月明けに一通の葉書が届きました。



住所は鹿児島。 でも見慣れない名前。 裏の文面を見て、母は息が止まりそうになりました。





そこには大学時代のクラブの後輩が亡くなった事が書いてありました。


後輩の彼女が亡くなったのは、まさににゃー君が生まれて二週間程してからだったそうです。



病名は、末期ガン。









母が、母となり、生命が生まれてくる喜びをかみしめていた時に、彼女は、死と向き合っていたのです。

















彼女は、母が大学時代に所属していたクラブの後輩マネージャーでした。 母が所属していたクラブは少しマイナーなスポーツで、なかなか人数が集まらず、母の同期生は新入部員獲得するのに必死でした。

そんななか、彼女はふいにやって来ました。男子部員のクラスメイトで、彼の片思いの相手でした。大きな瞳で、小柄で可愛らしい外見からは想像出来ない程のしっかりとした意志を持っていた彼女はやがて母の後輩マネージャーとなりました。一緒に声を張り上げて声援を送ったり、部活が終わって夜遅くに少し談笑したり、同じ部活をマネージャーとして部員を支えていく気持ちは共通だったので母は妹分が出来たような気になっておりました。


楽しい時間はほんのわずかで、彼女を含め後輩マネージャーは次々と退部していきました。  理由は様々で、母とその同期生達は引き止める事も出来ませんでした・・・。彼女が退部したい理由は、学業に専念して、バイトもしっかりして親の負担を軽くしたいという事でした。


ある、雨の日の夕方、彼女の新しい引越し先に遊びに行きました。最後にもう一度、説得してみたかったからです。 彼女は慣れない一人暮らしで体調を少し崩していて、彼女なりに健康に気を使って食事や運動をしていました。彼女と少し話して、やっぱり引き止められないと母は感じて帰ろうとした時に彼女はこう言いました。 『先輩、女座りの時に同じ方向ばかり足を曲げていると腰が悪くなりますよ。』


そして彼女とも時々すれ違うくらいで挨拶程度の関係のまま、母は卒業式を迎えました。教室で卒業証書を受け取り、階段を下りて大学のロビーに出ようとしたまさにその時に、母は予想もしない光景に遭遇しました


彼女を含め、部活を去っていったマネージャーの後輩達が花束を持って階段の下で母を待ってくれていたのです。嬉しかったです。それぞれ違う道に進んで行ったはずの彼女たちが集まってくれるなんて、本当に嬉しかったです。卒業式を終えて電車に乗って実家に帰ろうとした時、彼女からポケベル(その当時は先端の通信機器なんです・・・)のメッセージが入りました。『先輩、また絶対会いましょうね!!』













まだ、その約束は果たせていません。でも、いつかきっとにゃー君と、パパと三人で彼女に会いに行くつもりです。彼女の分まで、母なりに頑張って生きていこうと思っています。時々失敗したり、育児に煮詰まったり、母親らしくない事してしまった時には彼女と写った卒業写真を見て自分をリセットしてます。だって、彼女の前では偉そうに先輩面していた母ですから、弱っちい姿を空から見られるのは恥ずかしくて・・・。






9月は、母にとっては思い入れの深い月なんです。