子育ても、みんなで話せば恐くない!! -2ページ目

珍体験

小旅行も終えて、夏休み。


前にも書きましたが我が家のザリガニ達はまだ健在です。毎朝、にゃー君の任務はザリガニ達の生死の有無の確認と、幼稚園から貰ってきた朝顔が咲いたかどうかの確認です。


で、夜にはにゃー君パパとでお風呂でザリガニを洗い場に放して、その間にパパはせっせとザリガニのお家を洗って再びザリガニを戻す作業をしております。ちなみににゃー君はザリガニが触れません。でも、見ていたいらしくパパとお風呂に入ってはザリガニ達をヒャーヒャー言いながら見ています。



とある夜の事、いつも通りパパにゃー君がお風呂に入っていて、母は晩御飯の準備をしていたら・・・。




『もおっ!!だからにゃーくん言ったのに・・・うえええええ~~~~~~!!!!!!!!』

そんなオタケビと共にパパのウキャウキャという笑い声が。 何??



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にゃー君のおチンチンにザリガニがぶら下がっちゃた・・・。(恥)

写真のように荒い桶にザリガニを入れて湯船に浮かせていたら一匹がちょうどにゃー君のオマタの間の異物に戦いを挑んでしまったようです。  

その痛みは母には伝わらないの。ごめんよ。きっとすごく痛かったっていうのは泣き顔を見れば分かるけど。



母はにゃー君の痛みより、荒い桶にザリガニが入っていた事と、何も知らずにその後いつも荒い桶を使っていた事が痛かったわ・・・。ザリガニのエキスを体にかけてたんか・・・。早よ教えてよ、パパ・・・。



それ以来、にゃー君はザリガニが近くに居るとホラー映画の登場人物くらい悲鳴を上げます。それを面白がってパパはザリガニを押し付ける。そんな光景が夜には見られます。




それにしてもザリガニっていつまで生きられるのかな??

続・続・初体験

さてさて、夜十時半をまわったくらいになりまして、母は疲れがピークに達したので、にゃー君よりも先にウトウト眠りに入ってしまいました。  夜もふけてきた頃、異様な蒸し暑さで目が覚めて横を見ると、にゃー君が涙目で、


『ママ~もう帰りたい・・・。パパのとこにかえろ・・・。』

        って 無理やん。



しばらくぐずってから、再び眠りに着いたのも束の間、母は横に寝ていたいとこのお兄ちゃんからの寝相攻撃でひたすら逃げ回っておりました・・・。

『オレ、寝言言うし、蹴っちゃうよ♪』  って冗談かと思いきや、本気やったのね・・・。さすがに小学生ともなると体デカイし、力あるし、母はビビッてしまいました。


長い夜が明けて朝になり、みんなでお土産を買いに行ったり、ご飯を食べに行ったり、最終的にはいとこのお兄ちゃんとにゃー君にじいじがオモチャを買ってくれました。 夕べよく眠れなかったにゃー君はお兄ちゃんとまた離れるという寂しさもあり、疲れているのもありで、最後には大泣きしてしまいました。でも、その大泣きの原因って『出かける前にトイレ行っといな。』って言葉なんやけど・・・今更思うけどなんでトイレに行く事が泣くほど嫌やったんやろうか???


帰り道はばあばも加わって、何かしら皆さんイライラしたような雰囲気が続いた後、三重県に入る頃には和やかな車内でした。 帰り道、にゃー君は何度も、『じゃあ、またお兄ちゃんところに帰ろうか?』 『またまちゅやまにいくわ。』 と、久々の再会を名残惜しそうにしていました。


家に帰ると、パパが待ちわびていたようににゃー君を抱っこして、旅の感想を聞いていました。


往復で十六時間、車での旅に耐えたにゃー君。頑張ったね。  というよりか、じいじ、ばあば、るびちゃん(にゃー君が母の姉をそう呼んでいるので)、お兄ちゃん、お疲れ様でした。






当分、長旅はしたないわ・・・。

続・初体験

さてさて、待望のいとこのお兄ちゃんと対面したにゃー君、嬉しくて嬉しくてモジモジしながらもお兄ちゃんとの距離をジリジリ詰めています。

ようやく着いてほっとしたのも束の間、いとこのお兄ちゃんがみんなでボウリングしたい!とのリクエストでみんなでボウリングに行きました。


そのボウリング場は小さい子供用の、ガイドというのか、あの~小さい滑り台のようなもので、その滑り台のてっぺんにボウリングの玉を置いて、子供がエイヤッと押したら玉がゴロゴロ滑り出してピンに当たるというものです。はあはあ、説明で疲れた・・・。まあ、それがあったのでにゃー君にはそれを使ってボウリングするという事にしました。


にゃー君といとこのお兄ちゃんは四歳と半年の年の差があります。学年では五つ違うのです。

ならば、力も頭も当然の事、いとこのお兄ちゃんが勝つに決まっているんですが、


が、


にゃー君にはそれがわからない・・・。

故に、最初は大人しく?子供用の補助道具を使っていたのが、気がつけば・・・。


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・・・。


一人でおぼつかない手つきでいとこのお兄ちゃんの身振りを見よう見まねで玉を放り投げていました。


それだけだったら微笑ましいだろうけど。にゃー君ですので。


若手芸人並みの大声と大きいリアクションと、ゼンマイ仕掛けのネズミみたいなフットワーク・・・。



母は恥ずかしかった・・・。これが自分の子じゃなかったら


『面白いやん♪』


なんて思えるかもしれないけど、母はにゃー君に落ち着いて欲しかった。ホンマに。


そうこうしていたら・・・。



『ゴッ・・・。』


にゃー君ボウリングの玉を持ったままはしゃいでいたので、滑って頭から床に落ちちゃった・・・。やれやれ・・・。本人も少し反省したのか、その後は静かに(前よりは)してボウリングは終わりました。この後は焼肉を食べに行くことに。


焼肉屋までの道中、にゃー君の空回りなテンションに、母は成す術もなくいたら、とっさに母は無意識に顔を上に上げました。


そう、鼻血出た・・・。

ティッシュで鼻を押さえつつ、焼肉も食べ、その頃にはいとこのお兄ちゃんとも落ち着いて接することが出来るようになったのか、一緒にゲームをしていました。にゃー君はゲームは分からなかったんだけど、お兄ちゃんが優しく相手をしてくれたので2人はそれでひとしきり遊んでいました。kouki43

夜も遅くなって寝る時間です。明日にはもう帰らなくてはいけません。


にゃー君はちゃんと眠れるんでしょうか・・・?

初体験

子供が夏休みに入ると、本当にPCとは接触する時間がなくて・・・。

母は困ってます。


みなさんはこの前の三連休、どこかへ行きましたか?


にゃー君と母は、松山へ行ってきました!!

にゃー君生まれて初めての海を渡る旅でした。


それは、母にとっては初めての子連れ旅でした。

とっても胃酸が溢れ出る旅でした・・・。


そもそも松山に行くきっかけは、母の姉夫婦が松山に住んでいたのが転勤となって埼玉に引っ越す事となり、ばあばが先に松山に手伝いに行ったのをじいじが後で車で三重県から松山市まで行くので良かったらどう?って誘われたので母は勢いで決断したのです。

パパは今回欠席で、母とにゃー君とじいじで久居市~松山市までの旅路が始まりました。


旅行日程は七月の十七、十八日の一泊二日と言うとってもハードな日程で、とりあえず十七日の朝五時、母はにゃー君の耳元でこう囁きました。


『早よ起きやんと いとこの兄ちゃんに会えへんで・・・』

にゃー君はいとこのお兄ちゃんの熱狂的なファンでして、夏休みとか正月休みにしか会えないけど、会った瞬間からにゃー君はそのお兄ちゃんの、云わば『小さいストーカー』と変貌してしまいます。

故に、いつもならどんな事があっても早起きなんてしないにゃー君の目が素直に開きました。


『もうお兄ちゃんに会えりゅ?』


その返事は適当にあしらいながら車に乗り込み、いよいよ出発!




三重県から、奈良県までは楽しいドライブでにゃー君もいい子でした。少し車でウトウト眠り出して大阪は難なく通り抜けました。


そこからが・・・

『なあなあ、まちゅやまってどこ?』

『あと何分?』

『もう帰りたい』

『なんでまだちゅかへんのぉ~~~(怒)』

『んあああ~~~~~~~~~~!!!!!』

途中のSAで何度となくガチャポンをし、ジュースも何杯も飲み、アイスを朝早くからほおばり、チャイルドシートから脱走し、小さいゲーム機を買って、ようやく後部座席からの悲鳴というか、罵声は止みました。

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確かに、大人でも何時間と車の中で過ごすのは苦痛だけどさ。


まだまだ本土からは脱出出来てないのです。

そうこうしているうちに、母にも睡魔がやってきて・・・。

にゃー君の声も段々遠のいてきて、少しぼやけた光景で、運転するじいじに後ろからハンガーでちょっかいかけて喜んでいるにゃー君と、困りながらも強く出れないじいじの姿が見えたような・・・。

気のせいと言い聞かせ、母は数十分寝ました。


少し寝てから運転はじいじから母にバトンタッチ。再びにゃー君が眠りに付いたのでのんびりとドライブしながらじいじも少し眠りました。


朝六時過ぎから出発して、午後二時半過ぎ。

ようやく松山インターに降り立ちました。


あとは、松山インターまで迎えに来てくれる姉を待つばかりです。


その間も

『お兄ちゃん、まだ~~??(怒)』

『もお~~~!!!』

母は怒りたかった・・・でも、じいじがいるから我慢した。

にゃー君もじいじの前では強気で、母の胃酸はシュワシュワと音を立てていたけど、それでもやっぱり我慢した。


待つこと三十分。ようやく姉の車が来ました。

いとこのお兄ちゃんもいました。

にゃー君にしたら、ここからが本番!といった感じでしょうか。テンションが見る見る上がってきていました。


これから初めていとこのお兄ちゃん家でお泊りです。

どうなるんでしょうか?

母はここまで書いていたら記憶が蘇るとともに胃酸も再び湧き上がって来ました。

よって、話の続きはまた・・・。

母として、願うことは・・・

気分を切り替えて、これから気持ち新たにブログを書いていこうと思います。


さあっ、あと一日で幼稚園の一学期は終わり。その後は恐怖の夏休みが始まります・・・。


夏休み、今回母はにゃー君に色々冒険させようと計画中です。





母は、にゃー君に対しての願望はそりゃあんもう底なし沼のように深い想いがあります。

その果てしない野望は両親の能力以上にあるので、にゃー君は大変だと思います・・・。


例えて誰みたいになって欲しいというのは、芸能人とかで言えば・・・。


所ジョージさんとかかな。




・・・。可笑しい???


誰に媚びることなく、毎日を楽しんでいるような感じがしまでんか?

だからといって、女遊びするような感じでもなくて。


皆さんは子供の名前をつける時に、どんな思いを託しましたか?


にゃー君の本当の名前は 好輝 という漢字です。呼び方は内緒です。


この漢字はパパが選んでつけました。

その意味は


『周囲の人達に好まれながら、輝ける人生を送って欲しい』


なんだそうです。



なるべく、子供には回り道の少ない人生を送って欲しいと思いませんか?




母もパパも、決して順調な人生を今まで進んできた訳じゃありません。

それなりに辛い事、悔しい事、悲しい事、やり切れないことを経験しました。そんな経験を経て分かる事もいっぱいあります。だけど、できればそんな経験を自分の子供にまでして欲しくないんです。母は。

そのためには何をすればいいんでしょうかね?



とりあえず、今 願う事は ただひとつ。



お友達とケンカしないで仲良く遊ぶ!!


これさえもまだ達成出来ないにゃー君は、両親の野望に答える事が出来るんでしょうか・・・。

去年の今頃の話

当然ながら、去年の今頃はこんな風にブログを書くことも無かった母です。去年の今頃は幼稚園の年少組に入りたてのにゃー君と初幼稚園ライフを過ごし始めていました。


去年の七月の終わり頃だったと思います。にゃー君は少しだけ『お兄ちゃん』になりました。

ほんの一週間もなかったかと思います。それって・・・。


そう、母は少しだけ、妊婦でした。


去年の春先に母は悩んだ挙句、不妊治療を受け始めました。病院には時々にゃー君も同行していました。

病院などの公の場所で大人しく静かにすることも大事だと思ったもんで。

母は黄体ホルモンが少ないそうで、ホルモン治療と漢方薬で治療していくこととなってました。

ホルモン注射をおしりにするときもにゃー君は見ていたりしました。

時たまぐずるにゃー君に、

『ママは体が少し悪いから治さんと赤ちゃんがお家に来てくれへんから。』

と、話してなだめたりしました。


もうすでに一人授かったからもういいんじゃないの??

そういった意見もあったです。でも、


『2人目はいつ?』 とか 『やっぱり一人っ子だからね・・・。』


なんていう言葉はいつも胸に刺さります。


『こればっかりは授かりモノなんでね・・・。』


っていう切り替えしが出来るようになったのも最近の話です。



で、治療を始めて数ヶ月経った頃、妊娠検査薬で妊娠反応があったのです。


初めはビックリして、次に嬉しくて、次に言いようの無い不安がありました。



友達に報告したときには嬉しくて、一人になると異様なほどの不安がやって来ました。

その想いは現実となりました・・・。


思わぬ出血で、病院に行っても一時間くらい待たされて、どうかお腹の赤ちゃんが無事でいて欲しい気持ちと、やっぱりもうダメなんだと諦めようとする想いでいてもたってもいられない気持ちでした。

突然の事だったので、にゃー君も連れて来ていました。




そこで、先生が『 ・・・まあ、またチャンスがあると思ってください・・・。』


母はよくその言葉が理解できませんでした。なので、


『もう、ダメって事ですか?』


先生は黙ってうなずきました。




病院を出るときに、エレベーターの中で、母はにゃー君に話しなくては、と思い、言葉を選びながらこう話しました。


『あのな、お腹の赤ちゃんな、お星様になってしもうたわ・・・。』



にゃー君は、少し考えたような顔をして、


『それって、死んだってこと?』




母は、返事が出来ませんでした。母親の顔も出来ませんでした。

ただただ、泣いてしまいました。

これから妊娠報告していた友達にも訂正しなきゃいない、親にも。


もっとハッキリ分かってから報告すればよかった。


そうすればみんなに余計な気を使わせずにすんだのに。


たまたま心配してくれて電話をくれたK君のママに母は泣きじゃくってまだ整理のつかない気持ちをぶつけてしまいました。






それからか、にゃー君が年下の子供に対して優しくなったような気がします。

その出来事から数ヶ月して、幼稚園でのにゃー君のお絵かきにはいつも『あかちゃん』が描かれていたと幼稚園の担任の先生から聞きました。

母は、胸が締め付けられるような想いでした。



あれから もう一年。


気持ちにも少し整理が付きました。なので、忘れてはならない大切な事だから、ここに書きとめておきたかったのです。


今は母はにゃー君の母として、相変わらずもがいてます。kouki42



今日は少し、話、暗かった??

また今度は明るく行きます。

訂正

救急法、今自分のブログ見たら少し間違ってました・・・。


人工呼吸1回、心臓マッサージ5回を4サイクルでした。


ごめんなさい、しかもTBはしてません。PCの技術力の無さを痛感しています。


トホホな母なのでした。

追伸

さっき書いた救急法の詳しい事は

http://www.jlsa.jp/qq.html  を見てくださいね。



水遊び、その後・・・

先日の恐怖の幼稚園での水遊びからしばらく雨とかが続いていてなかなか水遊びが出来ませんでしたが、ここ数日、水遊びがあります。


毎朝、水遊びがある日は本当にしつこく母は『水の中ではお友達を押したり意地悪しない』と呪文のように耳元で繰り返し繰り返しつぶやいてからにゃー君を幼稚園に送って行くのです。

そんななか、今日は幼稚園に消防署の方々がいらして救命講習をしてくれる日でした。

一度幼稚園に送り出して帰宅してまた幼稚園に向かう・・・。面倒くさい・・・。

で、幼稚園に再び着いてみると丁度幼稚園の浅いプールのでにゃー君のいる年中組さんたちが遊んでいました。  母の脳裏にはあの忌まわしい出来事が・・・。

恐る恐る見てみるとにゃー君の奇声が聞こえる・・・。kouki40

『だ~~!!あかんのぉ~~!!それはちいさんぐみさんにあげるのぉ(怒)』

見てみるとどうも年中組から次は年少組に水遊びが交代の時間だったようで、にゃー君にゃー君なりに先生のお手伝いをしていたようです・・・。でも・・・周りから見るとすごいおせっかいの神経質??

なるべく見ない振りをして地元の消防署の方々のお話が始まりました。

これから水遊びが多くなる時期に溺れたり、熱中症になったりする危険性や、救護の方法など教えていただきました。特に溺れた場合の救助法は母は真剣に聞きました。もしかすると自分の息子がお友達を溺れさせてしまうかもしれないし・・・ハハハ・・・。


消防の方の話によると、子供が溺れたりして意識を失ってしまって救急車を呼ぶ場合、平均六分程で救急車は到着するそうです。その間に心臓マッサージや人工呼吸をしていた方が蘇生率が高いそうです。

大人と比べて子供は肺が小さいので呼吸が出来なくて心臓が止まるそうなので、先に人工呼吸と心臓マッサージをしてから119番通報してくださいとおっしゃっていました。その際、あまり人工呼吸を過剰にしすぎると胃の中が空気でいっぱいになり、中にあるものが逆流して肺に入ってしまう危険性もあるとのことでした。人工呼吸一回、その後心臓マッサージ4回、それを1サイクルとして4サイクルしたら体の四肢の状態をみてみる。

母が今日頭の中に入った情報はこれだけです。詳しくはTBを見てくださいね。

なんせ素人なもんで・・・。


今は我が家に初めてのお友達がやってきています。2人だと静か・・・。今日のお友達は大人びていて賢い・・・。にゃー君はワガママ言いたい放題で母のハラワタは煮えくり返りそうです。

夕方にはじいちゃんと温泉(近場の)に行ってきます。

今日はにゃー君のワガママパラダイスです。(怒)

子供の遊び方

先日、コメントに『子供を預かるの?』って書き込みがありました。

で、少しそのことについて自分なりに意見を書こうかと・・・。


にゃー君の通っている幼稚園で、年少組の時には、お友達と遊ぶのは二種類のスタイルがありました。


ひとつめは、親も子も一緒に遊ぶ。


ふたつめは、子供だけで遊ぶ。


年少組の時は2クラスに分かれていました。で、にゃー君がいるクラスは割りと長男・長女が多くてママさん達も初めての幼稚園、初めての母親としての付き合いとなる人が多かったです。

なので、やっぱり遊びの約束をしても親は付いて行きましたし、親子で来てくれました。もうひとつのクラスは次男・次女も多数いたのでやっぱり子供だけで遊ぶというのも早くからあったようです。


みなさんは、もし三歳の子供がいたら、どっちの方法で遊びますか??


母は、一緒に付いて行きました。だって最初は色んなママ友達が欲しかったし、子供一人でよそのおうちにお邪魔して迷惑とかにならないか心配だったので。まだまだ何をしでかすかわからん三歳児、もしお友達に怪我をさせたり、自分が怪我してしまったら、預かっていた母親はきっと責任重大じゃないかと・・・。

その方法が良かったか悪かったかは母はまだ分かりません、でも、去年一年間で色々な人の育児観を教えてもらったし、育児特有の孤独感を紛らわしたりする事は出来ました。お友達とどうやって遊んでいるのか、ケンカになるいきさつも少し母なりに分かったりできたし・・・。


今は預かるようにしたり、極力一人で遊びに行かせたり(勿論、送り迎えは母はしますよ)しています。

なんでって・・・

母がいるとにゃー君怒りっぱなしなんやもん・・・。

甘えっぱなしなんやもん・・・。

一人で遊ぶ方が大人しくてケンカもあんまりしやんっていうし・・・。


そんな理由もありますが、ひとつ大きなきっかけはやっぱり子供同士のケンカの処理法。

年少組の終わり頃から少しづつケンカしても自分たちなりの解決とかをするようになりだしたので。

かえってそんなときに母がいると甘えて泣いて収集不可能なことになっていたし。

ママさん同士も夕方まで大人も子供も遊びに来ていたら夕飯の準備も出来ないし、子供だけなら家に上げてもO.Kでも、大人が上がるなら掃除はキッチリしやんと恥ずかしいとか・・・。

そんなこんなの理由で今は子供だけで遊んでいます。勿論、何かにゃー君がよそのお家でいらん事したりしていないかお迎えのときに聞いたり、ケンカしたならちゃんと謝らせるようにはしています。

そういった面では、去年よりも人付き合いには慎重にしないとトラブルの素になりかねないので母は母なりに踏ん張っています。


それぞれ地域性もあると思いますが、みなさんの所ではどうですか??



楓さん、こんな感じでごじゃいます。き39

                      (にゃー君パパの青汁を飲んだ真似をしています)